2003年05月01日 木曜日 12:28:45


利己的な遺伝子 
Richrd Dawkins


投稿者:ハムのケンちゃん(筆者)  投稿日:2003年05月01日 木曜日 12:28:55
出典:http://hide5077.hp.infoseek.co.jp/gene/selfishgene.htm (将来リンクが切れる可能性があります)

利己的な遺伝子:自己複製子

Richrd Dawkins

自己複製子

40億年前に海洋を構成したと考えられている「原始のスープ」

この中の有機物質は、おそらく海岸付近の乾いた浮き泡や浮かんだ小滴の中で、局部的に濃縮され、さらに太陽からの紫外線などのエネルギーの影響を受けて化合し、いっそう大きな分子になっていったと考えられる。

あるとき偶然に、とびきり大きな分子が生じた。それを自己複製子と呼ぶことにする。それは自らの複製を作れる驚くべき特性を備えていた。

自己複製子は、長時間存続するか、複製が速いか、あるいは複製が正確か、いずれの点で安定した自己複製子で占められたと考えられる。すなわち自然淘汰なのである。

次に自己複製子は、科学的手を講じるか、あるいは身の回りに蛋白質の物理的な壁をもうけるかして、身をまもる術を編み出した。こうして最初の生きた細胞が出現したと考えられる。

こうして自己複製子は存在をはじめただけでなく、自らのいれもの、つまり存在し続けるための場所をも作り始めたのである。

生き残った自己複製子は、自分が住む生存機械(survival machine)を築いたものたちである。

40億年が過ぎた現在、古代の自己複製子の運命はどうなったのであろうか?

彼らはかの自己複製子として長い道程を歩んできた。今や彼らは遺伝子という名で歩き続けている。そして我々は彼らの生存機械なのである。

不滅のコイル

DNA分子は、2つの重要なことを行っている。

1. その1つは複製である。つまりDNA分子は自らのコピーをつくる。

人間は、大人では10の15乗個の細胞からできているが、はじめて胎内に宿った時には、たった1個の細胞である。この細胞は2つに分裂し、その2つの細胞は、それぞれもとの細胞のDNAのコピーを受け取る。さらに分裂が続き細胞数は、数兆になり、あらゆる細胞に全遺伝子の完全なコピーが配布される。

2. DNAは、蛋白質の製造を間接的に支配している。

蛋白質は、体の物理的な構造を構成しているばかりでなく、細胞間の科学的プロセス全般に細やかな制御をおこない、正確な時間、正確な場所、科学的プロセスのスイッチを選択的に入れたり切ったりする。

遺伝子機械

「個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。」

遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分の生命のためにプログラムを組む。

遺伝子は、自分の生存機械が生涯に出会うあらゆる危険を処理するにさいしての、そのプログラムの成功・不成功によって裁かれる。その判事は生存という法廷の情容赦のない判事である。

安定性と利己的機械

自然淘汰によって選ばれたものは、環境を最も有効に利用するように自分の生存機械を制御していく機械である。これには異種、同種をとわず他の生存機械を最もうまく利用するということも含まれている。

遺伝子道

個々の利己的な遺伝子の目的は一体何なのか?
答えは、如何に自己の遺伝子を遺伝子プール内に更に数を増やそうとすることである。

個々の遺伝子は、基本的には遺伝子が生存し繁殖する場となる体をプログラムするのを
手伝うことによって、これを行っている。

家族計画

個々の親動物は家族計画を実行するが、しかしそれは公共の利益のための自制でなく、むしろ自己の産子数の最適化なのである。

彼らは、最終的に生き残る自分の子供の数を最大化しようと努めるのであり、そのためには生まれた子の数は多すぎても少なすぎてもまずいのである。

個体に過剰な数の子をもたせるように仕向ける遺伝子は、遺伝子プールの中にはとどまれない。その親の遺伝子を体内にもった子供らは、生体になるまで生き残るのがむずかしからである。

雄と雌の戦い

動物社会では、雌雄いずれかの個体も、その生涯における繁殖上の総合成績を最大化することを望んでいる。

精子と卵子の大きさおよび数に見られる根本的な相違が原因で、雄には一般に乱婚と子の保護の欠如の傾向が見られる。

これに対する策として、雌には2つの戦略がみられる。一つはたくましい雄を選ぶ戦略であり、もう一つは家庭第一の雄を選ぶ戦略である。

雌がこれら二つの対抗策のいずれかをとる傾向を示すが、また雄がそれにどんな形で対応するかは、いずれも種をめぐる生態学的な状況が決定することである。

ほとんどの人間社会では、一夫一妻制をとっている。

私たちの属する社会でも、両親の保護投資は、いずれもかなり大きく、男女間に明白な不均衡があるようにはみえない。たしかに母親は、子供を直接相手にする仕事を父親以上に行っている。

しかし父親も子供に与える物質的資源を手に入れるために、間接的な形で一生懸命働くのが普通である。

しかし一方では乱婚的な社会もあるし、ハレム制に基づいた社会も多い。この驚くべき多様性は、人間の生存様式が遺伝子でなく、むしろ文化によって大幅に決定されることを示唆している。

しかしそれでもなお、人間の男性には一般的に乱婚的傾向があり、女性には一夫一妻制的な傾向があるという、進化論的立場に基づた予想があたっている可能性はある。

この二つの傾向のいずれかが他を圧倒するかは、文化的状況の細部に依存して決められる。これは各種の動物においてもそれが生態的詳細に依存して決まるのと同じことである。

遺伝子の長い腕

自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。

「遺伝子は歴代の生物個体に自らを増殖せしめるように働く」

「生物個体はそのすべての遺伝子を増殖させるように働く」

遺伝子と生物個体は、主役の座を争うライバルではない。両者は異なったキャストであり、多くの点で同等に重要な、お互い補い合う役割、すなわち自己複製子という役割とヴィークルという役割である。

あらゆる新しい世代は単細胞として始まり、新しく成長する。それは祖先の設計の理念をDNAのプログラムの形で引き継ぐが、その祖先の肉体的な器官を引き継がない。それは親の心臓を引き継がず、それを新しい(そして可能なら改良された)心臓に作り直す。それは単一の細胞として再出発し、親の心臓を同じ設計プログラムを用いて成長し、そこから新しい改造を加えるかもしれない。

あらゆる生命は、その始まりにおいて単一細胞、すなわち受精卵であるだけでなく、その最終目標も、次の世代の受精卵という単一細胞である。

あらゆる生命の根本的な単位は、動因は自己複製子である。自己複製子とは、宇宙にあるどんな物であれ、それからその複製をつくれるもののことである。

まず最初に、偶然によって、小さな粒子のランダムなひしめきあいによって、自己複製子が出現する。一度自己複製子が存在するようになれば、それは自らの複製を果てしなく作り出していくことができる。

しかしながら、どんな複製過程も完全でなく、自己複製の能力を失い、彼ら自身が消滅したときに、その仲間は消滅してしまう。別の変異はまだ複製を作ることができるが、ずっと効率が悪くなっている。だがほかの変異はたまたま、新しいやり方を獲得して、自分の祖先や同時代のものよりずっと効率よく自己複製できるとする。集団のなかで優勢になるのはもちろん彼らの子孫である。やがて時間の経過と共に、世界は最も強力で巧妙な自己複製子によって埋め尽くされるようになる。

よき自己複製子となるためのますます洗練されたやり方は、徐々に発見されてゆくだろう。自己複製子は、自らの固有の性質のおかげでなく、世界に対してそれがもたらす帰結のおかげによっても生き残る。

最終的に自己複製子が自らを複製するさいの成功率にフィードバックし、影響を与えるような帰結であることだけだ。


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