April 13, 2003 16:48:17 DNAkaiseki.htm


遺伝子解析と「利己的DNAプログラム」


「利己的DNAプログラム(本能)」について【1】 
                   投稿者:ハムのケンちゃん(筆者)  投稿日:2002年9月 9日(月)22時44分18秒
 当ホームページへご訪問いただいた皆様へ、ケンちゃんです。
 活発な議論ありがとうございます。当方も大変参考になります。

最初に確かに小生もDNA(あるいは遺伝子)自身その物は意思も知能もなく、単なる塩基配列を規則正しい順番に並べた物と認識しています。また肉体をDNAの乗り物であるなどと、思いたくもない一人の人間です。またどこかに塩基配列が1ビット狂うと、何かの病気の原因になったりして問題を起こす事も事実だと思います。また現に世の中/あるいは世界中でこれらの遺伝子配列異常/組替えなどの、ある意味で狭義の議論の中心になっている事も事実と思います。この分野は素人の私も大いに興味があります。

 さて、このホームページで主題で取り上げようとしていることは、このDNAの固まりを一つのプログラム(OS :つまりPCでいうオペレーティング システム。あるいはPCを動かす基本ソフト)と考えたときどのような世界が見えてくるのか、また人間にとってこの「DNAプログラム」がどのように人間の行動に関与しているのか?といった事柄を解明していこうというのがこのホームページの目的です。(例えはあまりよくないですが、SONYのアイボというロボット犬がいて人間の間で大いに人気があると聞いています。これを人間に例えるとアイボの「OS+プログラム」が人間の「本能+誕生後の教育」、モーターで動く手足が人間の「肉体」また、モーターやCPCを駆動する為の電池(電源)は「食料」というように役割分担がされています。

 どうしてこのような単なる(知的)ロボット(あるいはペットと呼んでもよい)に我々は強い親しみを感じるのでしょうか?それは姿が犬に近いこともあるかと思いますが、同じ「宇宙の星の大爆発で誕生した、重たい元素」で主に出来上がっているもの同士の親しみさがあると思えてなりません。塩基配列のDNAも、また大きな肉体も微小世界においては、全く区別がつかない「同一もの」と感じるのは私だけとは思えません)
<【2】へ続く>
「利己的DNAプログラム(本能)」について【2】 
             投稿者:ハムのケンちゃん(筆者)  投稿日: 2002年9月 9日(月)22時46分09秒
<【1】の続編>
次に、HP訪問者から以下の文章を本日頂いております。

 「それとDNAの解析は世界中どこでも出来ていないはずですが...DNAにどんな情報が含まれているのか?どういうパターンの配列になっているのか?」
 確かにご指摘の通りで私もそう考えていました。その考え方が人間としての本流だと思います。また世界中の(多分)人々も当然そのように考えているように思えます。

 しかしながらこのようなコンピュータ技術が発達した現代において、どうしてこの「DNA」が凝縮されて収容されている”肉体”の中の「DNAプログラム」についての議論が世界中どこを見ても、全く見当たらない事に気がつきました。(誤解していただきたくないのは小生もこのDNAプログラムの動き/働きを解読器にかけて解読した事がありません。したくても出来ないのです。現代でも) なぜ成熟した大人たちが沢山いるのに、この事についての議論がなされないのか、という事を考えて見ましたが、どうもこの「DNAプログラム(はっきり言えば本能)」によってこのような議論を妨げられているのではないかと?いう疑念にぶち当たった次第です。つまりこの「DNAプログラム」の本質を知られてはこまる、というように。この点の議論を深めていくことによって人類がはいりこめなかった領域に入り、また新しい事柄が分かってくるのではないかと考えた次第です。

 先ほどRNAが話題になっていましたが、このRNAはどうもDNAよりも歴史が古いらしく、我々の先祖(バクテリアの時代?)はこの遺伝子組替えの達人であるウイルス(主にRNAがこれに相当する)の攻撃に相当悩まされたらしく(悩まされたどころではなく、生物の死「DNAプログラム」の破壊=死(つまり敗北の0:ゼロ)まで追いやられた)これらの遺伝子組み替えの達人のウイルス(RNAの固まり)に勝利するために、我々の先祖はやりたくもない世代交代の代償を払い、ウイルスとの死闘を行い勝ち抜いてきたわけです。そしてその死闘に勝ち抜いてきた子孫が我々「人間」といってよいわけです。

 従って我々のDNAプログラムには絶えず勝利(O、1の1)するよう本能にプログラムされていると言って過言ではないでしょう。それでもRNAとの死闘を勝ち抜くには最終的に男女両性に分かれての盛んな遺伝子組み合わせ/突然変異を無理やり起こして、1(生き残り)か0(死)のオンオフ戦いをしてきた事実があります。(つまり仁義なき戦いです)従ってこの「DNAプログラム」は必ず1(生き残り)の勝利しなくてはならないプログラムを背負っていると考えられます。しかし勝利も影には「何が何でも”1”(勝利する)になるためには何でも利己的(他の生物、他の人間に対しても)に行う必要があるので、多くに場合残酷なケースが殆どかと思います。

 これらの事を人間の認識の内では「本能」と定義出来ると考えます。(本題で詳しく述べる「女と男」編ではこの「勝ち抜くために仕方なく両性に分かれた性(人間のさが)を深く探求していく予定です。面白い世界が待っていることでしょう)

 さてそこで本題の「利己的DNAプログラムの戦略」=「本能の戦略」という図式になるわけです。あとで本論で述べますが残念ながら人の頭脳はこの「利己的DNAプログラム(本能)」から無言の圧力を受けて、この議論さえしないよう厳命をうけてうけているように感じます。

 つまり本当の人間の支配者は「利己的DNAプログラム(本能)」であり、その後人間の成長段階で獲得したいわゆる「人格」や理性などは単なる付け足しの存在で、人格や理性などが支配者の真の姿を認識する必要は無いと、無言で言っているようにも感じます。話は飛びますが20世紀で何回もの世界大戦や紛争/虐殺などが何度となく繰り返されてきたことがこれを証明しているように思います。

 最後にこのホームページを通してこの「利己的DNAプログラムの戦略」=「本能の戦略」の議論を世界中で沸かしたいと強く願う次第です。またそれが大きい意味での世界平和につながれば幸いです。長くなりましたがこの辺で今日は終わります。


PS:既述のようにこの世界中の誰もこの「利己的DNAプログラム」(本能)を直接プログラム解析、いわゆる”解読”した人間はいません。私も皆さんと同様にこれから先も全く出来ないでしょう。では、どうするの?とお思いだと思います。

 これにはまず「利己的DNAプログラム」の目的を仮定して、この世の中でおきている色々な事象を拾い出して当てはめて考えて検証していくしか方法がなさそうです。小生の一人の人生経験だけでは足らないのはいうまでもありません。従ってホームページ訪問いただいた方々の御経験/お知恵をかりながら充実した内容にしていきたいと思っていますので、ますますのご協力をお願い申し上げます。以上

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